4つのカテゴリに分かれてデザインを学びます。
しかし実際に社会に出てみれば、デザインの世界は多種多様。
ジャンルを越えて、ありとあらゆる分野で活躍する
佐藤卓さんのデザイン事務所に途中入社した〈桑沢〉卒業生が、
上司との会話の中で「デザインの本質」に迫ります。
‐ vol.3 佐藤 卓 × 日下部 昌子 ‐
佐藤 卓[さとう・たく] 東京生まれ。 東京藝術大学美術学部デザイン科卒業後、同大学院形成デザイン科を1981年に修了。 株式会社電通を経て1984年、佐藤卓デザイン事務所設立。 「ニッカ・ピュアモルト」の商品開発、例えば中身、値段、ネーミング、パッケージデザインなどすべての行程に携わる。 2018年4月より、社名を株式会社TSDOに変更。
日下部 昌子[くさかべ・まさこ]
新潟県佐渡島生まれ、埼玉育ち。
桑沢デザイン研究所グラフィックデザイン研究科卒業後、GRID CO., LTD.、エージーを経て、
2000年佐藤卓デザイン事務所(現・株式会社TSDO)入社。
香水 “L’EAU D’ISSEY” シリーズ/エスビー食品 「SPICE & HERBシリーズ」等のパッケージ/MIZKAN MUSEUMのロゴマーク・サイン計画
竹尾見本帖 at Itoyaの店舗・販促ツール/グラフィック社『一汁一菜でよいという提案』の装丁/
NHK Eテレ 「にほんごであそぼ」/ほぼ日『ほぼ日手帳』等に携わる。
ーTSDO(旧・佐藤卓デザイン事務所)で働くことになったきっかけ
日下部:在学中からいろんなジャンルのデザインに携わりたいと考えていたのですが、卒業してすぐはあまり選択肢がない中で、最初にエディトリアルデザインの事務所に就職しました。2社目はパッケージやロゴマークがメインでしたが、もっといろいろな種類の仕事をしたいなと思って探していたところ、ちょうど『デザインの現場』で佐藤卓デザイン事務所の募集を見かけました。それまでに展覧会などで、ジャンルを問わずにいろいろ手がけているお仕事を見ていましたので、こういうところで働けたらいいなと思って受けてみたのです。
佐藤:うちの場合、新卒はほとんど採ったことがなくて、経験者を採用しています。それまでの仕事や学生時代の作品のファイル、あるいは現物を持参してもらって面接します。場合によっては期間を設けて、こちらが出した課題で制作してもらうケースもあります。日下部のときは面接だけでした。毎日長時間一緒に働くわけですから、重視するのはまず人となり。気持ちよく一緒に仕事できる人でないと。作品とか過去の仕事ももちろん見ますが、その人の持っている雰囲気がとても大切で、日下部の真面目で誠実な感じが好印象でした。
しかも経験も積んでいますから、「では一緒にやりましょう」ということになりました。デザインの仕事において「人となり」は重要な要素です。
日下部:
「人となり」以外ですと、前の会社にいたころ、〈桑沢〉の同級生と一緒に毎日広告賞に出品して奨励賞を受賞した作品をお見せしたことも、ひっかかりになっているかも⋯⋯。
佐藤:そうだっけ?憶えてないなぁ(笑)
ー佐藤さんのことは在学中から?
日下部:渋谷駅から〈桑沢〉への通学路の途中、PARCOとかにいろんなチラシが置いてあって、気に入ったものをファイリングしていました。これは、社会人になって間もないころですが。(見せる)
佐藤:あー、これは懐かしいねえ!
でもこの時の展示作品が僕だとは、当時は意識してなかったでしょう?
日下部:はい、まったく(笑)。
▲ 日下部昌子氏によるデザイン。 |
日下部:学生の頃は広告に憧れたこともありましたが、見るだけでなく、手に取って使ってもらえるものをデザインしたいと思っていました。仕事として、パッケージや本をデザインできるのは楽しいと実感しています。
佐藤:触覚に訴えるということは大事で、いかにデジタルの時代になろうとも、やっぱり人は触ったりできる「モノ」が好きだし、身体を動かすことが好きでしょう。すべての情報を電子メディアから得て満足なんかするわけがないと思うのです。最近電車に乗ると新聞を読む人が増えてきましたが、結局紙のものの安心感に還ってきます。
うちはありとあらゆる仕事をしているので、案件によってなんとなく「これは日下部かな」と決めたりしています。デザイナーをジャンルで選んでいるわけではなく、仕事もパッケージデザインやテレビ番組の仕事、ブックデザインなど本当に多岐にわたります。
日下部は今アートディレクターですが、彼女にしてみれば次にどういう仕事がくるか全くわからない。
僕自身も同じです。また、依頼がパッケージデザインだったとしても、成り行き次第でCI(コーポレート・アイデンティティ)やVI(ビジュアル・アイデンティティ)の仕事になったりします。基本的なスキルはグラフィックデザインのそれですが、僕自身も経験したことのない、初めてのことがたくさんあります。ただ、グラフィックのスキルをもっていれば、だいたいほとんどのことに対応できますね。平面に落とし込むスキルでプレゼンテーションができますし、グラフィックのデザインで空間のシミュレーションもできます。グラフィック以外の分野においてはほとんど素人のようなものですし、パッケージの専門的な勉強をしたこともありません。経験したことがないけれどやってみようというスタンスですね。最初から手探りでやってきていますから、そういうことには慣れています。僕がそうですから、うちのスタッフも皆そうならざるをえないんです。むしろなぜジャンル分けしなければならないかがわからない。
日下部:経験したことのないジャンルの仕事をしていて、探っている途中は大変なのですが、そのぶんの面白さや、できあがったときの「楽しかった」という充足感が醍醐味です。
ここでの仕事としては、2009年から「ほぼ日手帳」本体とカバー、関連ロゴなどのデザインを担当しています。ほかには「にほんごであそぼ」のかるた、今はTSUMORI CHISATOのカタログなどを手がけています。
佐藤:
日下部の人間性だと思うのですが、彼女は優しい印象、優しい触感のモノをいつもつくってくれます。入社して3年くらいで驚くほど急成長しましたね。最初の頃は、明日のプレゼンテーションに全然間に合わないじゃない!という、彼女の独特な時間感覚というか(笑)、そういうことがよくありました。
日下部:
入社したときは社内の動きが早送りに見えて(笑)、えらいところに入ってしまったと思いました。
佐藤:
(爆笑)でも彼女の忍耐力というのが半端なくて、モニターに顔が埋まってしまうのではと心配するほど、なにしろしつこくしつこく粘るんですよ。仕事に対する真面目さ、粘り強さ。そしてあるとき、別人のように変貌しました。それまではいつも慌てて焦っているような顔つきをしていたのが、急に自信に満ちた表情になったんです。
日下部:
実は似たようなことが、〈桑沢〉に入る前にもありました。〈桑沢〉を受験しようと思い立ったときには既に高校3年になっていたので、美術の先生からすぐ予備校に行くように言われて、夏季講習と冬季講習だけ行きました。講習では、デッサンの講評を上手い順に並べて行うのですが、受験直前の冬季講習の時に、始まってからの数日はずっとビリのほうだったのが、ある日突然2番目くらいに並べられたのです。先生には誰が描いたかわからないのですが「この子けっこういけるんじゃないか」と言われて。それまでは一浪するつもりでしたけれど、ちょっと頑張って受験してみようという気になりました。
佐藤:独特な忍耐力と集中力があるので、ある段階でその成果がぐぐぐぐっと出るのでしょうね。日下部は自分でそれを体験しているので「しつこくやればなんとかなる」というようなことがわかっているんじゃないでしょうか。
日下部:そういうのを「学習曲線」と呼ぶのだということを最近知りました。断念せずに頑張り続けると、あるとき急にグンと上がるのだとか。
佐藤:それは学生に伝えなくては!(笑)
その、曲線の角度が一気に変わって以来、スケジュール管理も余裕を持ってできるようになったので、安心して任せられるようになりました。今では2人いるアートディレクターのひとりとして、若手教育もしてもらっています。
ー学び直すとしたら、1週間何をしてみたいですか?
日下部:手を動かす作業をしたいです。私の学生時代には授業でMacを使っていませんでしたが、パソコンは仕事でいやでも覚えますし。
ー〈桑沢〉は現在もデザイン学校の中ではパソコンに頼る授業はあまり多くはありませんよね。特に1年次は、手を使ったものづくりを重視しています。現代人はデジタルのリテラシーは備えているのですが、逆にそうした「手で考える」傾向は時代性とともに失われつつあります。〈桑沢〉では以前から取り組んできたことなのですが、周囲のデジタル化が進むことでより〈桑沢〉の特質として浮き上がってきたようです。
佐藤:ハンドスカルプチャー(8週間かけて、木の塊を「手がよろこぶかたち」につくりあげる)はいい課題だね!僕がやりたいよ、8週間。二等分割とか、そんな泣かされる授業があるなんていいじゃないですか。感覚的な部分と理論的な部分を両方鍛えるということですね。
ものをつくるには爆発的な瞬発力と持続力、その両方が大事です。アーティストのひらめきと職人的な手技の技術。〈桑沢〉の場合は、技術的な部分については何の問題もないでしょう。あとは人の言うことを聞く力、人の話をどれだけ聞いて理解できるかという能力を、学生のうちから鍛えておくことが必要だと思います。デザインとは自己主張ではなく、世の中の求めるものは何かを探して見極めるということでもありますから。自分の言うことを相手に理解させるのは、放っておいてもみんなやります。それよりも、相手をどう楽にさせられるか、幸せにできるか、そういうことを考える訓練がもっとあってもいいのではないかと思うのです。具体的な相手を想定するのがとても重要で、そのためには相手を知らなければならない、話を聞かなければならないということです。
基本的にデザインというのはひと言でいうと「気遣い」なんです。でも僕を含めて、若い頃は自己主張が強いので「自分は何が出来るか」のようなことばかりを考えてしまう、そのモードを社会人になってうまく切り替える必要があります。そのスイッチが切り替えられないと、不満を抱えながらずっと過ごすことになってしまう。自分中心から、相手や社会を中心に考えるモードに切り替える練習を、学生のうちに少ししておくと、社会に出てから切り替えやすくなるのではないでしょうか。そのうえで、日下部のようにしばらくは「耐える」というか、切り替えたモードを徹底的にやり続けると、あるとき急にデザインのなんたるかがわかる瞬間が来て、喜びに変わると思うのです。
日下部:たとえば思っていた以上のことをしてもらえたときに、人は驚いたり感激したりしますよね。デザイナーとして依頼された内容以上の仕事をすると、相手に喜んでもらえると思うのです。
デザインするにあたって相手のことを考えられるようになったのは、少し余裕が出来て「仕事が楽しい」と思えるようになった頃からでしょうか。先ほど佐藤さんに「顔つきが変わった」と言われた、入社3年経ったあたりですね。
佐藤:あの頃から「面白い」と思えるようになったんだろうね。それまでは「やらされている感」があったのに比べると、仕事に「気が入った」状態になった。それが3年目だったんだね。
〔対談日:2017/11/28 @株式会社TSDO〕
「悩むな〈桑沢〉に来い」「渋谷で鍛えよう」
大学と〈桑沢〉の2本立て編
ほぼ日でくわトーク編
– Let’s talk about KUWASAWA –
〈桑沢〉では「ビジュアル」「プロダクト」
「スペース」「ファッション」と
4つのカテゴリに分かれてデザインを学びます。
しかし実際に社会に出てみれば、デザインの世界は多種多様。
ジャンルを越えて、ありとあらゆる分野で活躍する
佐藤卓さんのデザイン事務所に途中入社した〈桑沢〉卒業生が、
上司との会話の中で「デザインの本質」に迫ります。
‐ vol.3 佐藤卓 × 日下部昌子 ‐
佐藤卓[さとう・たく]
同大学院形成デザイン科を1981年に修了。 株式会社電通を経て1984年、佐藤卓デザイン事務所設立。 「ニッカ・ピュアモルト」の商品開発、例えば中身、値段、
ネーミング、パッケージデザインなどすべての行程に携わる。
2018年4月より、社名を株式会社TSDOに変更。
日下部昌子[くさかべ・まさこ]
桑沢デザイン研究所グラフィックデザイン研究科卒業後、
GRID CO., LTD.、エージーを経て、 2000年佐藤卓デザイン事務所(現・株式会社TSDO)入社。
香水 “L’EAU D’ISSEY” シリーズ/
エスビー食品 「SPICE & HERBシリーズ」等のパッケージ/
MIZKAN MUSEUMのロゴマーク・サイン計画
竹尾見本帖 at Itoyaの店舗・販促ツール/
グラフィック社『一汁一菜でよいという提案』の装丁/
NHK Eテレ 「にほんごであそぼ」/
ほぼ日『ほぼ日手帳』等に携わる。
日下部:在学中からいろんなジャンルのデザインに携わりたいと考えていたのですが、卒業してすぐはあまり選択肢がない中で、最初にエディトリアルデザインの事務所に就職しました。2社目はパッケージやロゴマークがメインでしたが、もっといろいろな種類の仕事をしたいなと思って探していたところ、ちょうど『デザインの現場』で佐藤卓デザイン事務所の募集を見かけました。それまでに展覧会などで、ジャンルを問わずにいろいろ手がけているお仕事を見ていましたので、こういうところで働けたらいいなと思って受けてみたのです。
佐藤:うちの場合、新卒はほとんど採ったことがなくて、経験者を採用しています。それまでの仕事や学生時代の作品のファイル、あるいは現物を持参してもらって面接します。場合によっては期間を設けて、こちらが出した課題で制作してもらうケースもあります。日下部のときは面接だけでした。毎日長時間一緒に働くわけですから、重視するのはまず人となり。気持ちよく一緒に仕事できる人でないと。作品とか過去の仕事ももちろん見ますが、その人の持っている雰囲気がとても大切で、日下部の真面目で誠実な感じが好印象でした。しかも経験も積んでいますから、「では一緒にやりましょう」ということになりました。デザインの仕事において「人となり」は重要な要素です。
日下部:「人となり」以外ですと、前の会社にいたころ、〈桑沢〉の同級生と一緒に毎日広告賞に出品して奨励賞を受賞した作品をお見せしたことも、ひっかかりになっているかも⋯⋯。
佐藤:そうだっけ?憶えてないなぁ(笑)
日下部:渋谷駅から〈桑沢〉への通学路の途中、PARCOとかにいろんなチラシが置いてあって、気に入ったものをファイリングしていました。これは、社会人になって間もないころですが。(見せる)
佐藤:あー、これは懐かしいねえ!
でもこの時の展示作品が僕だとは、当時は意識してなかったでしょう?
日下部:はい、まったく(笑)。
▲日下部昌子氏によるデザイン。
日下部:学生の頃は広告に憧れたこともありましたが、見るだけでなく、手に取って使ってもらえるものをデザインしたいと思っていました。仕事として、パッケージや本をデザインできるのは楽しいと実感しています。
佐藤:触覚に訴えるということは大事で、いかにデジタルの時代になろうとも、やっぱり人は触ったりできる「モノ」が好きだし、身体を動かすことが好きでしょう。すべての情報を電子メディアから得て満足なんかするわけがないと思うのです。最近電車に乗ると新聞を読む人が増えてきましたが、結局紙のものの安心感に還ってきます。
うちはありとあらゆる仕事をしているので、案件によってなんとなく「これは日下部かな」と決めたりしています。デザイナーをジャンルで選んでいるわけではなく、仕事もパッケージデザインやテレビ番組の仕事、ブックデザインなど本当に多岐にわたります。
日下部は今アートディレクターですが、彼女にしてみれば次にどういう仕事がくるか全くわからない。僕自身も同じです。また、依頼がパッケージデザインだったとしても、成り行き次第でCI(コーポレート・アイデンティティ)やVI(ビジュアル・アイデンティティ)の仕事になったりします。基本的なスキルはグラフィックデザインのそれですが、僕自身も経験したことのない、初めてのことがたくさんあります。ただ、グラフィックのスキルをもっていれば、だいたいほとんどのことに対応できますね。平面に落とし込むスキルでプレゼンテーションができますし、グラフィックのデザインで空間のシミュレーションもできます。グラフィック以外の分野においてはほとんど素人のようなものですし、パッケージの専門的な勉強をしたこともありません。経験したことがないけれどやってみようというスタンスですね。最初から手探りでやってきていますから、そういうことには慣れています。僕がそうですから、うちのスタッフも皆そうならざるをえないんです。むしろなぜジャンル分けしなければならないかがわからない。
日下部:経験したことのないジャンルの仕事をしていて、探っている途中は大変なのですが、そのぶんの面白さや、できあがったときの「楽しかった」という充足感が醍醐味です。
ここでの仕事としては、2009年から「ほぼ日手帳」本体とカバー、関連ロゴなどのデザインを担当しています。ほかには「にほんごであそぼ」のかるた、今はTSUMORI CHISATOのカタログなどを手がけています。
佐藤:日下部の人間性だと思うのですが、彼女は優しい印象、優しい触感のモノをいつもつくってくれます。入社して3年くらいで驚くほど急成長しましたね。最初の頃は、明日のプレゼンテーションに全然間に合わないじゃない!という、彼女の独特な時間感覚というか(笑)、そういうことがよくありました。
日下部:入社したときは社内の動きが早送りに見えて(笑)、えらいところに入ってしまったと思いました。
佐藤:(爆笑)でも彼女の忍耐力というのが半端なくて、モニターに顔が埋まってしまうのではと心配するほど、なにしろしつこくしつこく粘るんですよ。仕事に対する真面目さ、粘り強さ。そしてあるとき、別人のように変貌しました。それまではいつも慌てて焦っているような顔つきをしていたのが、急に自信に満ちた表情になったんです。
日下部:実は似たようなことが、〈桑沢〉に入る前にもありました。〈桑沢〉を受験しようと思い立ったときには既に高校3年になっていたので、美術の先生からすぐ予備校に行くように言われて、夏季講習と冬季講習だけ行きました。講習では、デッサンの講評を上手い順に並べて行うのですが、受験直前の冬季講習の時に、始まってからの数日はずっとビリのほうだったのが、ある日突然2番目くらいに並べられたのです。先生には誰が描いたかわからないのですが「この子けっこういけるんじゃないか」と言われて。それまでは一浪するつもりでしたけれど、ちょっと頑張って受験してみようという気になりました。
佐藤:独特な忍耐力と集中力があるので、ある段階でその成果がぐぐぐぐっと出るのでしょうね。日下部は自分でそれを体験しているので「しつこくやればなんとかなる」というようなことがわかっているんじゃないでしょうか。
日下部:そういうのを「学習曲線」と呼ぶのだということを最近知りました。断念せずに頑張り続けると、あるとき急にグンと上がるのだとか。
佐藤:それは学生に伝えなくては!(笑)
その、曲線の角度が一気に変わって以来、スケジュール管理も余裕を持ってできるようになったので、安心して任せられるようになりました。今では2人いるアートディレクターのひとりとして、若手教育もしてもらっています。
▲佐藤卓氏によるデザインの<桑沢>学校案内書
ー学び直すとしたら、1週間何をしてみたいですか?
日下部:手を動かす作業をしたいです。私の学生時代には授業でMacを使っていませんでしたが、パソコンは仕事でいやでも覚えますし。
ー〈桑沢〉は現在もデザイン学校の中ではパソコンに頼る授業はあまり多くはありませんよね。特に1年次は、手を使ったものづくりを重視しています。現代人はデジタルのリテラシーは備えているのですが、逆にそうした「手で考える」傾向は時代性とともに失われつつあります。〈桑沢〉では以前から取り組んできたことなのですが、周囲のデジタル化が進むことでより〈桑沢〉の特質として浮き上がってきたようです。
佐藤:ハンドスカルプチャー(8週間かけて、木の塊を「手がよろこぶかたち」につくりあげる)はいい課題だね!僕がやりたいよ、8週間。二等分割とか、そんな泣かされる授業があるなんていいじゃないですか。感覚的な部分と理論的な部分を両方鍛えるということですね。
ものをつくるには爆発的な瞬発力と持続力、その両方が大事です。アーティストのひらめきと職人的な手技の技術。〈桑沢〉の場合は、技術的な部分については何の問題もないでしょう。あとは人の言うことを聞く力、人の話をどれだけ聞いて理解できるかという能力を、学生のうちから鍛えておくことが必要だと思います。デザインとは自己主張ではなく、世の中の求めるものは何かを探して見極めるということでもありますから。自分の言うことを相手に理解させるのは、放っておいてもみんなやります。それよりも、相手をどう楽にさせられるか、幸せにできるか、そういうことを考える訓練がもっとあってもいいのではないかと思うのです。具体的な相手を想定するのがとても重要で、そのためには相手を知らなければならない、話を聞かなければならないということです。
基本的にデザインというのはひと言でいうと「気遣い」なんです。でも僕を含めて、若い頃は自己主張が強いので「自分は何が出来るか」のようなことばかりを考えてしまう、そのモードを社会人になってうまく切り替える必要があります。そのスイッチが切り替えられないと、不満を抱えながらずっと過ごすことになってしまう。自分中心から、相手や社会を中心に考えるモードに切り替える練習を、学生のうちに少ししておくと、社会に出てから切り替えやすくなるのではないでしょうか。そのうえで、日下部のようにしばらくは「耐える」というか、切り替えたモードを徹底的にやり続けると、あるとき急にデザインのなんたるかがわかる瞬間が来て、喜びに変わると思うのです。
日下部:たとえば思っていた以上のことをしてもらえたときに、人は驚いたり感激したりしますよね。デザイナーとして依頼された内容以上の仕事をすると、相手に喜んでもらえると思うのです。
デザインするにあたって相手のことを考えられるようになったのは、少し余裕が出来て「仕事が楽しい」と思えるようになった頃からでしょうか。先ほど佐藤さんに「顔つきが変わった」と言われた、入社3年経ったあたりですね。
佐藤:あの頃から「面白い」と思えるようになったんだろうね。それまでは「やらされている感」があったのに比べると、仕事に「気が入った」状態になった。それが3年目だったんだね。
「悩むな〈桑沢〉に来い」「渋谷で鍛えよう」編
大学と〈桑沢〉の2本立て
ほぼ日でくわトーク編