桑沢デザイン研究所の卒業生より、各界で活躍する諸先輩方にご登場いただく「AMALGA(アマルガム)」、2025 年を締めくくるのは1973 年のデビュー以来、半世紀以上、400 冊を超える著書を刊行してきた絵本作家の五味太郎さん。『きんぎょが にげた』『みんな うんち』『さる・るるる』など、誰もが知る絵本クラシック、言葉や色、度量衡、モノやコトの根源に降りて楽しく思考する絵本の数々、ごく個人的な意見をもうしのべるなら、十代後半に出合ったリブロポートの諸作は、大人になりかけの取材者が絵本のおもしろさを再確認するともに、それが表面と形態をもつ、デザイン的な事物であることを認識するきっかけでもありました。ジャズやクラシックに耳を傾け、チェロを奏で、テニスや麻雀に打ち込む多趣味の人、それに輪をかけた多岐にして多義、多彩かつ多面的な五味太郎の絵本風景はいかにして生まれるのか。現在開催中の《五味太郎 絵本出版年代記展「 ON THETABLE」》の準備まっただなかの五味太郎さんをアトリエにたずねました。
五味 (本連載の潮田登久子氏の回を眺めながら)いきさつは憶えていないけど、彼女に写真を撮ってもらったことがあるよ。桑沢の卒業生というのがわかって、なるほど──みたいな話をしたけど、学校では一緒になっていない。だいたい俺、学校、真面目に行ってないからね。十代、二十代のころはどっかに籍置いてないと不安じゃない。住所みたいなもので、いちおう入っておこうみたいなもんだったよ。桑沢はいいとこだったけどね。
五味 原宿から渋谷をブラブラ歩いていたんだ。誰かと待ち合わせしていたお店に向かっていたら、「桑沢デザイン研究所」と書いてあるのを見つけたの。デザインの研究所っていいなと思って、脇の階段を上ったら、学生を募集していたんだよね。学校かよ──とは思ったけど、ちょっと気になってもうしこんだんだと思う。その前に俺、(東京)藝大を受けるのをやめたの。油(画科)の試験の途中で描くのをやめたんだよ。藝大は当時、学科なんて簡単なもんだったけど、倍率は30 倍ちかくて、ダメ元で受けたら3 次試験の実技までいったわけ。その試験会場で描いていたときに、ふと、この絵、誰に見せるつもりで俺、描いてんのかな、と思っちゃったわけよ。
俺、なにしてんだろうって思ったら、世界が、上野の試験会場の空間が瓦解していくような感じがあってね(笑)。これはやめようと、広げていた道具を全部拭いてしまいこんだ。ほかの受験生も、こいつなにしてんだ、という感じになるよね。試験中でもまわりがなにしているか気になるじゃない(笑)。道具をしまって、俺、試験官に、帰りますっていって、上野の駅に向かって歩きながら、もうダメなんじゃないかと思いながら、どこかでめちゃくちゃ解放された感じがあったんだよ。人生にはたぶん、そういうことが5、6回あるんだろうけど、その最初だったな。誰かにチェックしてもらうために絵を描いているんじゃないもんな、俺のためにやるんだもんな、という基礎的なところに戻って、さて、なにしよう──だよね。桑沢に出合ったのはその3日後くらいだよ。
桑沢には最初、夜間部のグラフィックで入ったけど、やることなかったの。グラフィックはいいと思ったものをひたすら見ることだからね。俺はそのとき、ものの作り方に興味があったから、2年目に工業デザイン、ID(インダストリアルデザイン)に転入したの。
これも面白かった。IDのクラスは20人くらいしかいないんだよ。いまは普通だけど、桑沢には当時も学校を卒業してもう一回勉強しようという人がけっこういて、年配のクラスメイトもいたの。キャノンのカメラをつくっているところの部長とかマックスという文具会社の開発部長とか。桑沢洋子さんはさすがに一本筋が通っていて、夜間部は昼間仕事している人限定というのがあったから、いろんな仕事をでっちあげたよ。授業は夜の6時から9時で、3分の1は普通の苦学生。ほかは働いているやつがもう一回学生やっている感じだった。
五味 先生やインストラクターよりも生徒のほうが大人ということもけっこうあったから、生徒のなじみのママがいる店に連れていってもらったこともあるよ(笑)。あの1年間は面白かった。授業で印象に残っていることは全然ないけど、ものをつくろうかということになって、みんなでディスカッションをしたのは憶えてる。いまでいうブレインストーミングだよね。なにかモノをつくるときに本質までとことん話してみる。たとえば「椅子をつくる」という課題があるとすると、2週間前から「椅子とはなにか」という話を何度もする。ヘタするとそのまま飲み屋にながれて、椅子以外の話をしたら罰金10円とかいうルールまで決めて(笑)。
五味 それからしばらくして東京オリンピックがあって、さらにその後に万博があるわけじゃない。当時の仲間で、まだ生き残っているのがけっこうまわりにいて、いろんな話をするんだけど、あのころは新幹線が速くなって飛行機も飛ぶようになって、国全体が楽しくなるんじゃないか、という予感があったんだよね。万博なんて、俺はまだ若造だったけど、真鍋博さんに「バイトに来い」みたいな話をもらって、三菱未来館にちょっとかかわったの。ああいう大きなイベントではいろんな人に会うけど、みんなよくわからないまま希望をもっていたよね。その何十年後にまたオリンピックがあり、万博があったけど、当時とはまるでちがう。「失われた30年」なんていうけど、この50年、なにが変わっちゃったのかなっていうことを、最近よく議論するよ。
五味 とくに若い人を見たときにね。当時はどこの事務所に行ったって、なんかやりましょうよ、じゃあどうする、こうしましょう、と腰が軽くて、足腰がよくて動いていたけど、あのときの雰囲気がいまは本当にない。俺なんか、方々から五味さんのキャラクターを使って──という話はよく来るけど、みんな上を気にし、社会を気にし、コンシューマーのニーズを気にし、コンプライアンスを気にし──なにしたいの!?ってこっちが聞かざるをえないくらいに縮こまっている。
それがわるい、といいたいんじゃないんだよ。ただ不思議なんだ。ついこの前も北京に呼ばれたんだけど、北京やベトナムは国が若いの。中華人民共和国といっても、70年80年の国だし、ベトナムの人なんか本当に若い。国民の平均年齢も30代ぐらい。日本はもっと高いよね。そこで、こういう企画をやってみましょう──となって、それがダメでも、じゃあ、〇〇さんに頼もうかなって軽いんだよ。ひるがえって俺たちの国は会議ばかり。ヨーロッパも日本と似ているよね。
五味 それはまた別な意味で、この10年間くらい客観的に五味太郎の本ってなんだろうな、と考えはじめたところがあるんだよね。まあまわりの人もいろんなこといってくれて、それらを総合すると、時代に即して描いていないということなんだよね。社会的な要請や現象を追って描いていてない。描きようがないといえるんだけど、その理由は30代に社会的に生きるのをやめようかなと思ったからなんだよ。
五味 社会ってわかんないよね。もちろんわかっているような顔はできるよ。こんな時代でも、誰が仕掛けたわけでもなく、こうなっちゃったのが現実じゃない。それにつきあって生きていくのは無理よね、と思ったら、なにをすればいいのか。俺は社会が使える、と思ったんだよ。社会を使って生きていこうと。具体的にいうと、社会は、世間はどんな本が読みたいんだろうか、という考えるのをやめたの。さっきいったコンシューマーのニーズというやつだよね。それに応えるのは俺には無理だと。逆に、俺が描きたいものを描いて「これいいね」というやつがどのくらいいるのか、実験してみようと思ったの。あくまでも俺が、俺の興味で、俺が面白いと思ったものを世の中に出す。そして俺と趣味の合うやつが何人いるんだろうかという考え方だよね。この考えは当時の絵本の主流ではなかったけど、「いいですね」といってくれる編集者もいたし、じっさいに出してみたら、趣味の合うやつは沖縄にもいたし、北海道にもいた。関東にもいた──この連続。そうやってある実感を得たときに、このままいこうという感じになった。だから俺は30代なかばから精神的な成長はないんだよ(笑)。
五味 桑沢をいつ出たかもよくわかんないんだけどね。卒業証書もらった憶えもないもんな(笑)。
五味 詐称じゃなかったんだね(笑)。絵本の仕事をはじめる前は、さっきいった万博の仕事や、一般的な商業デザインやディスプレイ、雑多な仕事の経験があったよ。どんな仕事も面白いし、それなりの快感と、もちろん大変さもあったけど、でもなにかちがう、なにかが足りない……そう思ったときに、体調がすぐれなくなってきて一度ひきこもるような時期があったんだよ。
五味 少し騒ぎすぎたのかな。それでなんかちょっと家にいる時間が長くなったときに自然にやっていたのが絵本の仕事だったの。絵を描いて字を書いて、そしたら友だちがこういうのは出版社に売り込んだらいいよ、とリストをつくってくれて、それをもとに適当に送ったら、やりましょう、と声がかかった。絵本作家になるという方法も自分で編み出したし、そのための学校に行ったわけでもないから、絵を描くなんてよくわからないんだけど、本が好きだったんだろうね。
五味 そういう冷静な質問はありがたいけど、あんまり興味なかったよな(笑)。そんなに暗いガキじゃなかったからね。実はいま、俺のすべての絵本を図録にまとめているんだけど、そのためのインタビューでだんだんと照射されてきたのは、俺はガキのころから「いいだしっぺ」なんだということ。遊ぶのでも「野球やろうぜ」というのは俺。そうすると「やろうよ」とまわりもいうんだよ。でも俺はしばらくすると飽きちゃって、こんどは鉄棒でどこまで飛べるかみたいなことやっていると、なにやってんの──と真似するやつがやって来て競争がはじまるんだけど、また飽きちゃう。それで考えたのが最初になにかを言い出すのが俺の仕事だということ。こういうの、つくりました、というと、本にしましょう、と誰かがいう。このプラットフォームが、ありがたいことに合っていたんだね。その上で、新しい遊び方を提示しつづけているだけだよ。
五味 アイデアのようなものは(自分の)内部にあるんじゃなくて、そこらへんにおっこっているという感じがずっとある。ただ俺の場合にはよくよく考えてみたらお話の絵本にはあまり興味がなくて、あえていえばある気分や現象を捉えるというようなことをつづけているような気がするんだよね。対象はよくある日常生活で、そのリアリティが元になったイメージが俺のいちばん興味のあるところなのかもしれない。
五味 本当だよ。一冊にまとめるとひと口でいっても、いろんなプロセスあるけど、『さる・るるる』みたいな言葉が対象の本はかぎりなくできるよね。
五味 その連続だよね。いまはそういうモードになってないけど、こういう現象は本になるかな、といつも思っている。この感覚なにかになりそう、というところに、視覚的なものとか言語的なものが出てきたら、「ああ、なるな」という感じですぐにとりかかる。とりかかって、「なんだ(本にならないのか)」ということもあるけどね。400冊描いてくると、以前に描いたものと似てくることもあるけど、自分のをパクっても訴訟問題にはならないでしょ(笑)。でもなにか、俺はよく「絵本風景」という言葉を使うんだけど、これははじめて出て来た絵本風景だなと感じると一冊描けるよね。そのやり方、ハウトゥを聞かれることもあるけど、よくわからない、というしかない。
五味 やりながらが楽しいよね。俺はエスキス(仏語で草稿とかスケッチの意)とかダミーとかつくらないタイプだから、文学館的な展覧会とか向いてないのよ。好きでしょ、みんな、下絵とか。そういうのはまったくないですよ。いちおうメモみたいなものや軽い下書きはあるけど、終わったら捨てちゃう。
五味 俺のなかでは価値はないもん。それより創作は途中でこうなるとは思わなかった、という感じになったらいいよね。はじめて見る絵本の風景に俺が出合いたいわけだよ。むしろそれにしか興味がない。
五味 たとえば商業美術みたいな世界は「これで行こうよ」ということでイラストレーターもカメラマンもレイアウトマンも参加してくる。結論がみえなければ、作業工程がわからないよね。でもそれをやるとどうしても「作業」になっちゃう。俺が絵を描いているのは作業じゃなくて、それが人生なんだろうな──というようなことがあるんだよ。
五味 それはもうまちまち。5時間半でできちゃう奇跡的なものがあれば、これこのへん描きたいなと思って、ふと気づいたら、5年くらい経っているものもある。
五味 ただそこにこだわりすぎると、今度は概念論になっちゃう。ちょっと難しい言い方だけど、プロットがあっても、それが定着してしまうと作品にダイナミズムがなくなっちゃうんだよね。戦争反対の絵本がつまらないのは全部それ。戦争反対というのは結論ありきじゃない。つくっているうちに「戦争いいよね」となったほうがドラマとしてはもりあがるし、もしかしたらそこに戦争反対にたどりつくヒントがあるのかもしれない。でもプロットはすでに決まっていて、みんな仲よく、やさしく話し合おうよ、というのは「作業」だよね。
五味 概念論には二重構造があってすごく面白いんですよ。椅子とはなにか、ずっと考えていく、そのことは絵本に向いているよね。そのプロセスを見せていく。この存在とはなんだろうか、一種の概念みたいなものをどんどん発展させていく。もっというと、それがストーリー化するかもしれないし、あるいは概念の飛躍の仕方がダイナミズムを生み出すかもしれない。
ある絵本でしりとりを扱うのだとしても、しりとりそのままをやっていてもつまらない。同じしりとりでも、こうなるとは思わなかったっていうのはあるからね。そういうことでいえば、俺の本はいつも概念論なのかもしれないんだよね。たとえば「幸せ」という概念があっても、その本質まではよくわからない。これについて、もういちど概念遊びしてみよう、という感じがあるのかもね。
五味 それもいま俺たちのまわりの問題のひとつで、絵本を子どもの本と設定しちゃったのは失敗なんじゃないかという意見があるんだ。芥川龍之介がなにかを書いたとして、それを誰用とはいわないよね。それなのに子どもの本は「これ何歳用です」とか、そういう話になってしまう。ガルシア・マルケスをひとりで読むなら何歳から、なんて絶対いわないよね。子どもの本を独占して商売をやろうとした連中が、考えたひとつの方法だったんだろうね。子どもの本という言い方はせいぜい「簡単にわかる本」という意味で、つまるところ商売なんだよ。その方法である程度成功したんだけど、本が出すぎてそれも苦しくなっちゃっている。俺はラッキーかアンラッキーかわかんないけど、絵本が児童書といわれた時期のことをなにも知らないでこの世界に入ったんですよ。『きんぎょがにげた』(1982年)を出したときは「これは何歳くらいからがいいんでしょう」というのは来たよ。
五味 「やっぱり14歳からかな」とかね(笑)。そのうちそれ(読者の年齢を限定すること)はおかしかったよね、と少しずつ気づく連中が出てきて、いま絵本っていうもののかたちをもう一回提示しようと話すことがあるの。そもそも絵本の好きな大人が「私まだ絵本が好きなんです」と妙な言い訳するからおかしくなっちゃうんだよ。商業的な区別はわざわざ取り払う必要もないかもしれないけど、それをしたい人たちに任せればいいんじゃないのかな。
五味 世の中、めんどくさいのは理屈と理論でやっているからだよ。理論に合わないこともじっさいあるからね。なんで今年はタイガースが楽勝だったのかなんて、理由は全然わかんないよね。
五味 データでみれば、防御率がよかったとか、打率がよかったとか、根拠になるものはあるだろうけど、予定通りいくわけじゃないよね。いまはAIという不思議な存在がいるけど、AIが参照するのは全部過去のものだからね。これから先の話はAIはやらなくていいんだよね。そういう過去のデータをなんのために使うんだろう、という話を、あらためてやらないかぎり、次は出てこないよ。出版社の営業会議でもいま売れている本を集めてきてこういう傾向のものをつくりましょう、というようなことをいうよね。これはもうあるんだから、いいじゃんって、簡単な話だよ。ないものをつくろうよ、という会議なら5分もかからないのに。前のデータよりも次の野球をやろうという話じゃないですか。データが出ているならお前らの勝ちに決まってんじゃん。俺たちがやってもしょうがない。でも次のやり方だとわかんないよ、ということだよね。
五味 メインストリームの文化は教育的な意味もふくめて、わかる、わからないという世界にいるよね。明日、雨が降るでしょう、株価は上がるでしょう、というようなことをいうけど、結論はわかる、わからない、ということではないんじゃないかな。
算数で、10から7を引くと3になるというようなことが価値観の前提になると、わからないことの楽しさ、面白さ、それゆえに僕たちの宇宙はつづいている、というような概念みたいなものがどんどん不安というかたちになっちゃう。
わからないということの不安がじつは基礎だと思うんだ。俺だって、明日死ぬかもしれない。そのわからなさみたいなものが、実は宇宙の規範なんだよっていうくらい、大胆な提示を絵というものはしているんだと思うんだよ。だから絵をわかろうという教育はやめてほしいんだ。音楽もそう。音楽もわかるとかじゃなくて、あれはプロセスの話であって、そんな話、もうやめようよってことだよね。明日が保証されるのものなんかないんだから、予約をとることは重要じゃない、といいたいんだけど、どんどんそっちのほうに傾いているよね。
五味 でも不安っていいじゃん。これがないかぎり面白くない。わからないからわかりたい、でもやっぱりわからない。話はまたどんどん飛ぶけど、ニュートンやダーウィンは万有引力の法則や進化論を発見したよね。だけどなぜ重力が地球の中心に向かっているのか、なぜ進化のプロセスで突然変異が起こるのか、その理由はわからない。自分のわかるのはここまで、ということで結論は先延ばししているんだよね。俺はその態度がすごく好きで、じつは俺もこの宇宙にかんして感じたことを、このようにまとめてみました、こんなに楽しかったです、という言い方で先延ばししているんだよね。ニュートンもダーウィンも答えなんか出してないのに、試験をやるみたいに、答えを出してどっちが正しい、間違っているというのを試すようなことになってしまう。こんなチープな世界、やめてくれといいたいよ。政府がさ、国民の安心と安全みたいなことをいうからさらにおかしくなるんだけど、安心安全なんて死んでからでいいよ。うちのオヤジなんか、いますごく安定しているよ(笑)。
五味 俺は桑沢みたいなところがもっと情報センターになるべきだと思っているんだよ。いまいちばん問題なのは自分の作業がどのような流れのなかにあって、その先に社会が、どのようなかたちであるのか、見えないということだと思うんだよね。
「学ぶ」というのは自分で学ぶんだよね。自分で学ぶんだけど、学生には社会が見えないから工業デザインなり服飾デザインなり、こういう流れでいま世の中が動いているよ、ということを伝えるための情報センターが必要だと思うんだ。そこに通っていると、いろんな情報が入る。こっちの方向はどうだろうか、ということを(学生が)やれるようになったらもっと面白いのに、と思う。そうなると俺なんかも行けるよね、使えるよね。
なにかを教えてくれる、というのに期待する人はクリエイターにならないほうがいいよ。クリエイターは自分でやるものだからね。効率わるいけど自分でごちゃごちゃやる質(たち)だなと思ったら、その次のステップとして、情報センターがあれば、いろんな人が集まって、連絡もつくし──というようなエージェントのような感じに桑沢がなったらいいんじゃないかな。「学校」っていうのはちょっと古すぎる。先生がいて、教えてくれる──このシステムはもうやめてもいいかもしれない。これはどの教育機関でもそう思う。なりたつのはゼミみたいな形式で、ある程度知っている人間が情報センターとしての知識をどんどん渡していけばいい。インターネットも、その点では最初はすごく健全だったはずなんだけど、いまやお買い物の道具だからね。
五味 レクチャーってやつよね。そういうのはもういいんじゃないかな。俺がいたころの桑沢もみんなでしゃべる感じで、学校というシステムとはちがっていたからよかったんじゃないかな。講師も若かったからね。戸村浩さんはこの前亡くなられたけど、俺が19〜20歳のとき、彼だってまだ二十代なかばのほぼ同じ世代で、同じようなことに悩んでいて、同じような問題がありながら教えていたんだから。
五味 制作するときはしているけど、ルーチンじゃないから、描きたくなったら描くよ。いまちょうど、みなさんが来てくれるんで、伝えたいんだけど、12月の12日から代官山のLURFGALLERY(ルーフギャラリー)というところで《五味太郎絵本出版年代記展「ONTHETABLE」》という展覧会をやるんですよ。50年間やってきた書籍にかんするもの、翻訳本も、海外の本も全部まとめた、展覧会というか展示会というか、この50年間の作業を物理的に並べてやろうと思っているんだ。いまそこらへんに段ボールが出ているのはその準備もあって、2000冊くらいになるかな。
五味 現場でレイアウトするしかなくて、搬入のために3日間とっているけど、ちょっと面白い展覧会にしたい。その理念としてはね、いまITがどうのこうのとか、電子がどうのこうのっていうけど、紙の本をつくる作業ってけっこういいよねっていうのをみんなに見せたいんだよ。
五味 ほとんど俺の作業ですよ。いまの時代は、それをデジタルにしなくちゃいけないから、デザイナーがスタンバイしてくれているけど、最後の奥づけなんか入れるところまで丸ごと俺の仕事。表紙の部材から見返しの色まで100%やります。本というもののテクノロジーはすごいし、日本はとてもいい国で、これちょっと海外じゃ無理だなっていうくらいに紙もいっぱいあるんだよね。
五味 だから面白いんだよ。紙ひとつで本全体のニュアンスが変わるし、判型を決めること自体、面白いし、出版社も親しいところとやっているから「今回はこのへんの判型でいこうか」とか、細かいことも含めてもういっぱいやります。でも最終的に製版したり製本したり印刷したりするのは専業がやってくれて、そのテクノロジーもどんどんあがっているよね。スキャニングの精度なんて50年前に較べたらすごいよ。
五味 あれも100パーセント、俺。当時は競合に安価な月刊誌があってなかなかうまくいかなかったけど、7年間やったよ。
五味 あれは向こうから「五味さんの絵本をアニメーションにしたいんです」といってきて、試作をみたら面白かったから任せたの。ひるがえって俺には本を「動かすな」という考え方があってね。絵本は動かないから動かしてあげます──なんてことをしなくても絵本はちゃんと動くのよ。自分で思った通り動くのよ。(『きんぎょがにげた』の)きんぎょはちゃんと動いてる。絵は全部スチールだよね。止まっているんだけど、フレーミングの外まで感じるような力がある絵ならば、動くわけ。
五味 絵本は絵本のなりにできることは数限りなくある。そのために絵本的な技法の実験を繰り返しているということだろうね。でも、もっとあるんじゃないかと、ノーテンキに思ってるよ。いままでにないサムシングエルスをどこかでつねに模索しているよね。
五味 俺、テニスを一所懸命やってんだけど、テニスのゲームには同じ状態は絶対ないの。麻雀もそう。であれば、似ていても、ちょっとちがう本を描けるはずだし、いままでの技法を使って、わざとちがう展開に行っちゃうのもあるはずだし、こういうテーマはいままで扱ってない、ということだってある。たとえば俺の初期のころの本に『みんなうんち』(1977年、福音館書店)というがあるの。
五味 あれは単純にうんこが好きだということで描いたら、時代を超えてもう50年ちかく、17〜18ヵ国で本になったけど、当時はそうなるなんて思ってもいなかった。もちろん、たんにキワモノのつもりで描いたわけでもない。なにせ、うんこを見ていて、すっごい面白いなと思ったんだから。これはこれでなにかまとめたいなっていうだけで、その連続だよね。
五味 急に鋭い質問が来ると困るけど(笑)、同じ状況がつづくと飽きちゃうことはあるね。外国に呼ばれてイベントなんかやるのは面白いんだけど、同じ状態がつづくと早く帰りたい、と思うこともあるよ。でも不思議に、絵本をつくる作業で飽きた、という感じはないよね。絵を描いて色を塗ったりするのが大好きなんだろうね。暇ならばここに来て、タバコ吸って、描いているね。長野のほうにも家があるんだけど、そこはアトリエもあって、でかいタブローを描いている。絵本をつくるにはわりと事務的な作業も多いから、ここくらいこぢんまりしたほうがやりいいということがわかってきた、という感じかな。
五味 芯は似ているかもしれないけど、タブローのときはなにを描きたいんじゃなくて、描いているうちにこんな感じになってきたっていうのが好き。途中までいって、キャンバスを逆さまにしてみたら新鮮に感じるようなものだよね。さっきいった12月の展覧会では絵本に関係のあるタブローも並べようと思っているんですよ。
五味 本をそれだけ並べるような展覧会は前例がないらしくて、公共の美術館に企画を出しても腰が重いから、これはもう俺がやるしかないな、と思って自分で企画したの。
五味 俺のは額に入れて飾って見てほしい絵じゃなくて本なんだよね。本として見てほしい。みんな、原画を見たがるんだけど、あれはむしろ原稿なんだよ。それに俺はカラーインクをよく使って、褪色するから長期の巡回なんかすると痛むんだよね。
五味 デザインは「品」なんだよ。これは俺の先生……先生というのはむしろ生徒が決めるものだと俺は思うんだけど、榮久庵憲司先生がいっていたことでね。とあるシンポジウムで俺がヘンなことをいったら、帰りに、同じく登壇していた榮久庵先生が「五味くん、うちの事務所に来なさい」っていうものだから「遊びに行くんですか」と訊いたら、「勤めるんだよ」って(笑)。「イヤですよ」といって大笑いしたんだけど、それからずっと、榮久庵先生が亡くなるまで、つきあいがあったんだ。その榮久庵先生がいっていたことに、「品」という字は下に2個四角があって上に1個乗っていて、安定している。それを探るのがデザイナーだよね、ということがあったの。冗談めかしていっていたけど、デザインってそういうものだと思うよ。それ以上でもダメ、それ以下でもダメ。このコップの把手があってもなくてもいいならあっちゃいけない。デザイナーたるもの、これはなくちゃダメというところまで、削ぎ落とそうよ、ということだよね。グラフィックでも残っているものは絶対必要なもの、ということは俺の頭の片隅にもあるよ。絵本の場合はそこのところの許容範囲がもうちょっとあって、あってもなくてもいいものが効果を生むこともあるんだよね。あと榮久庵先生にいわれた面白いことは、大事なのはエッチだ、ということだよね。
五味 性的なこと(笑)。
五味 大好きだもん(笑)。まわりは真面目な人が多いから、俺だけウケてんだよ。それで悪ノリしたら「品がない」って(笑)。すごい人だよ、あの人もGKデザイングループも。話を戻すと、いまの世の中、本当は大事なセクシャリティまでコンプライアンスでどんどん消えていくわけ。女性性とか男性性とか、子ども性とか老人性とか、そういうものをみんな均一にしていく。均一じゃないことにも問題があるんだろうけど、そもそも問題が出てきちゃいけない、ということにコンプライアンスがしちゃっていると思うんだよ。極論をいえば、ものをつくる時代じゃないかもしれない。そんなときでも、俺はニヤニヤしながら、つくりつづけるよ、というだろうね。それくらい紙のプラットフォームは自由なんだということを、今回の展覧会では見てもらいたいね。
(2025 年10 月1 日、五味太郎氏アトリエにて / 撮影:塩田正幸)